2017年02月25日

「気功 その思想と実践」

廖赤虹、 廖赤陽両先生のお書きになられた「気功 その思想と実践」を読んだ。
意拳は気功ではないという説もあるし、確かに異なっているところもあるとは思う。が、以前からその類似点の多さの方に興味津々であり、時代的理解や有象無象との区別化ということを除けば、感覚の類似点については言うまでもなく、生み出されてくる思想についても多くの点で首肯するところであると思うがいかがか。練功という言葉の位置づけもしっかり書かれており線を引きながら読んだところだ。

気功―その思想と実践 -
気功―その思想と実践 -
posted by 池山 at 18:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

推手はよくできた練功法

推手もつくづくよくできた練功法であると思う。技撃の不足を補うという意味を前面に押し出すのが説明としては簡単ではあるが、それはほんの一部と言ってもよい。闘牛のようなこともたまには役に立つし、もちろん柔らかく相手に合わせてやることも非常に得られるものが多い。その中で打撃的な狙いをつける場合もあるかと思えば、接近して大きく身体を練ることもある。触れた瞬間を大切にするものもあるし、大きく打撃のように当たることすらできる。腕を回すことで延々と稽古することができると思えば、あまり動かさないで切っ先を読むようなことも可能かと思う。以前にも書いたが、相手の心理状態まである程度見える気もするのは、長く続けている方々には同意いただけるところだろうと考えている。体系化の過程がどのようなものであったかについては、各論あろうが、要はその推手の中に何を求めて時間を過ごすかということかと思う。本当に本当に素晴らしい練功法だ。
posted by 池山 at 18:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

単操手の感覚の面白さ

単操手は、その動き自体が力を発したり動作の連通を高めたりする要素を含むところが面白い。もちろん準備運動的に考えてもよいが、それだけだと少しばかりもったいないと思う。例えば、斜め後ろに向かって腕を捻りながら伸ばし、そのまま胸に向かって戻す動きがある。背手桩で立つときに意識する腕の感覚を動きの中で表現しているようなところもあると考えながら稽古してみると面白い。
posted by 池山 at 06:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする