2016年08月23日

螺旋を含むが

動作にはすべからく螺旋が含まれる。出入螺旋式というとおりである。といって、明確に外にあらわれるものだけということではないし、細かくなってくると螺旋と三角の関係や右に回転しているのか左に回転しているのかわからなくなるというようなことも多い。いずれにせよ、やたらくねくねしているものは力がなく、わざとらしいものは強調しすぎているといってよい。
posted by 池山 at 06:38| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月21日

技法を集めることの良しあし

例えば梃子の応用であったり身体を斜面にして我から近く彼から遠くとするなどの細かな技法がいらないということではない。むしろ、それらは原理原則の真ん中ではないけれど周縁とか近接している位置づけと考えてよい。困るのは技の数集めだけになることだけが問題なのであって、ある程度のテクニック的なものはあるにこしたことはないし、どの段階においても大切なものではある。要は、技術の末に堕することがなければよく、自分のやっていることが、内勁を養成し生力にできるだけ頼らないということを前提にするけれど、技術の工夫をするなかでその段階の強さを求めることができると考えたらよい。それと、その技術が内力を高めることに寄与するものなのか、あるいは邪魔になるものなのかも。
posted by 池山 at 07:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

一粒で何度もおいしい

例えば、直拳の形の中にあらわれる攻守合一。片方で攻め、片方は守る。ただそれだけではない。片手に攻守が含まれることもある。そして、守るも攻めるも分けられない状態になっていく。更に、これ自体が力を発揮する形にもなっているということから考えれば、一粒で二度も三度も四度もおいしくて、どんどん味が変化していくような感じか。
posted by 池山 at 07:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする