2016年12月04日

瞬間に効くもの

守中用中について何度も書いているところである。自分の中心を守り、相手の中心を攻める。その際しっかり自分の中心を定める。一般的には、軸をしっかりさせるとか、正中線を整えるとか、腰を据えるとか言われるところと関係する。最近ではインナーマッスル等の強化とも関係があるといわれるところもあるかもしれない。が、そういったものより・・・個人的な感覚としては上虚下実で上下の争力が強く働いている感じかと思う。そして、それは瞬間に効く。
posted by 池山 at 15:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月03日

要諦をとらえる際の主従

力のありかは後ろ足の蹬(踏みつけ)にありという。これは非常に重要な要諦である。ただ、この文字面だけを取り入れるだけでは片手落ちである。確かに、身に着けた動きの質を変えずにでも、感覚としても力が通っていく感じがする。その部分が閑居されやすいから意識付けにはいい。前につんのめって一方向の力にはならないということは体験できる。ただ、もっと大切なのは一動無不動であるということであり、どこか体の一部が動き出し、連動して、あるいは次々と動いていくというようなものではない。要諦をどう考えるかという場合の主従も必要だ。
posted by 池山 at 18:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ぶつからないもの

人の心理的なものであっても悲しいけど嬉しいとか辛いけど清々しいとか、もっともっと感情、感覚、思考等がまじりあったものがあることは当然のこと。そのことについて、あまりに一方的にこう思っているんだねとかそう考えちゃだめだとかと言われると、とたんに抵抗感とか不快感が感じられる。そして、言われたとおりの感情も交じっていたのにもかかわらずそれに反論・反抗することがあることは経験済みのところと思う。いわゆる意地を張ってしまうということばがぴったりくるか。力もそれと同じで、一方向のものはぶつかる。争力を含み、圓満なものが、本来のものであり無碍のものである。ぶつからないものとなる。と、わかってはいるのであるが難しいところだ。
posted by 池山 at 17:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする